はじめまして。
生まれたときから洋裁ドップリの環境にいました。
母は紳士服のお仕立てをしていました。
父の背広も祖父の背広も母のお手製。
腕がいい母には注文が途切れることなく、
祖母は家事全般を、
母は紳士服のお仕立てをしていました。
二人の叔母は洋裁教室の先生と中学校家庭科の先生。
我が家には今は廃刊になりました
「ドレスメーキング」がドーンとありました。
男の子を従えてケンカぱやい私でしたが、どういうわけか
自分の服の仮縫いのときはじっとおとなしくしていたそうです。
小さいころから母の足踏みミシンで
遊んでは指も縫ってしまうことがありました。
見かねた父が当時では珍しい下糸もチャンとついている
輸入の電動式の小型ミシンを買ってくれました。
相当高価なミシンでした。
あのときの嬉しさは今もって覚えています。
それからは男の子と遊ぶ合間に
着せ替え人形タミーちゃんの服をセッセと作り始めました。
家には生地がワンサカありましたし、
近所の布団屋さんがキレイなお布団の端切れを
くださいました。
宝塚歌劇のスターの方の衣装を真似ては作りました。
タミーちゃんの型紙を作る原型は母が作ってくれたので、
私はそれを元に自分の描いたデザイン画を元にパターンを作りました。
いっぱしのデザイナー気分で、
勉強そっちのけでドンドン縫っていきました。
中学生になると家庭科で洋裁を習います。
私のレベルでは簡単すぎるデザインでしたから、
提出するブラウスもスカートもワンピースも
私のデザインした服を縫って提出しました。
今から思うと先生も
たいそうやり憎い生意気な生徒だったとお察し申します。(笑)
たとえば「アタックナンバーワン」の
鮎原こずえちゃんが着ていた服なんかマネしましたね。
付け加えますと今やっているずっと前のことで漫画です。
小鳩くるみさんの声だったと記憶していますが。
そう、私がクラブも影響を受けて、バレーボールクラブに入部しました。
高校生になるとますます洋裁とデザインにのめりこんでいきました。
ありがたいことに私の通っていた高校が
公立高校では当時としては珍しい私服オッケーの学校になったのです。
水を得た魚の私でした。
ますます発展的洋裁の道に入り込むようになりました。